- Monday,
May 01, 2000 at 03:11
- 結局VIDEOを観て過ごす(--;;;。 「タイタニック」と「プライベート・ライアン」、いずれも何度も観ている作品だ。
- 私は、ヒューマニズムを描いた映画、とくに欧米の極限状態におけるヒューマニズムを描いたものがが大好きで、ハンカチでこっそり泪をぬぐいながら、映画館やVIDEOで観る(苦笑)。
- 今日のテーマは「愛」。この「愛」は、異性を好きになる「愛」ではなく、もちろんキリスト教倫理観における「愛」だ。この言葉には「敬服」「誠意」「慈悲」等いろんな意味が含まれ、「信念」「勇気」「献身」等によって具現化される。
- 人に対する「愛」を素直に表現する日本語にすると、「ありがとう」と「ごめんなさい」だと思う。つまり「感謝」と「謝罪」だ。「謝罪」を具現化していくのは「贖罪(罪を償うこと)」。
# 「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えない人には、いくら世間から尊敬されようが(私は)敬うことはできない。
- 以前にも書いたけど、私クリスチャンではないが、この「愛」という言葉が理解したくて、聖書を読み、プロテスタント教会に何度も足を運んだ。
#彼ら(プロテスタント)の基本は「愛」という言葉によって支えられ、おそろしくストイックだ。
#余談だが、日曜学校のお昼は、婦人部の作るうどんとか、カレーライスとか。>学食なみの値段(笑)
- 往々にして、究極のドラマにおけるテーマは、キリストの教え、「汝、隣人を愛せよ」から来ている。「至上の愛(人を生かすために、自らが犠牲になること)」が彼らの中で最も尊い行為とされているのもそのためなのだ。
- 人は、誰しも(神に比べて)弱いものであると説いている。弱肉強食のコロニーを生成し、人を殺してでも、自分が助かりたいと望む人が多い。
#それでなくても、今の世の中、ずさん経営が原因であるにも関わらず、トカゲの尻尾を切るように社員を見捨てていく会社経営者が多い(--;;;。
- そこまではと考えない人も、自分が助かりたいばかりに、責任から逃げたことはないだろうか?ウソをついたこと、人を仲間はずれにしたことはないだろうか?言い訳だって責任からの逃亡のひとつだ。もちろん、私だって戒めていても、気がつけばその中のひとり。極限状態で、我先に逃げ出さない保証はない。
- 極限のヒューマニズムを描いた映画のヒーローは決して逃げない。だから、作りものとわかっていても、その尊い行為に泣けるのである。
- 逆に、自殺が決して許されないのは、自らの死をもっての責任放棄により、「贖罪(罪を償うこと)」を行わないことになるからだ。「罪」というものは一生かかっても償わなければならないものと、キリスト教では説いている。「贖罪」により、「罪」は許される。
- 私が責任から逃げる人や、言い訳をすごく嫌うのは、まず、責任から逃れようとする自分が嫌なのであり、責任から逃れようとして言い訳をする自分が嫌いなのだ。
- 「贖罪」を行わない人たちに、「天の罰」がくだされる。これが「地獄」であり、どうとらえるかは、その人しだい。
- まだ一度も「聖書」を読んだことのない人は、せめて一読することを勧める。たいていの書店では扱っている。まぁ、お経と比べれば各国語に翻訳してあるだけに、はるかに簡単だ(苦笑)。
- 私にとっての「聖書」とは、欧米文化を知るだけでなく、心ゆたかに生きるためのガイドブックだ。
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